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全国オンラインアートフェス
全国オンラインアートフェス
「Light Art 20/21」
作品公開(映像)
全国よりご応募頂いた作品のうち、「映像」についてこちらに公開いたします。素敵な作品を多くの方にご覧頂ければと思います。(画像をクリックすると拡大されます。)
第3回全国オンラインアートフェス
作品公開( 映像作品 )
全国よりご応募頂いた作品をこちらに公開いたします。
素敵な作品を多くの方にご覧頂ければと思います(画像をクリックすると拡大されます)。
3.池浦千尋
「Museum」(映像作品)
大学3年生(専攻科等3年生)
twitter:
Insta:
コラージュ映像、生活感が感じるような絵作りとアニメーションを制作しました。
19.林千尋
「共闘文庫」(映像作品)
武蔵野美術大学
大学3年生(専攻科等3年生)
twitter:https://twitter.com/ha84_CG
Insta:https://www.instagram.com/chihiro_ha84/
この作品はCGと小説を掛け合わせた朗読劇アニメーションです。主人公と少女の本を通じた対話によって生まれた、目に見えない”繋がり”を小説と映像の重なりで表現しました。
49.鉄崎凌大
「Lunch」(映像作品)
武蔵野美術大学
大学4年生(専攻科等4年生)
twitter:@liingda
Insta:@tetrobot_
昼食をとりに出掛けたはずが放浪してしまうという自らの悪癖をもとに「現実を置き去りにして理想を追い求める観念的な人」をテーマに作りました。食べるためには自分の外側にあるものを受け入れなければなりません。
96.べ スア
「The flowers falling」(映像作品)
女子美術大学大学院1年生
twitter:
Insta:
日常から見られる花びらのかたまりが作られる過程をストーリーにしました。
176.今尾海里
「欺瞞の延長」(映像作品)
加納高等学校
高校2年生(高等部2年生)
twitter:
Insta:
灰色の世界にも色がある
186.大石 優司
「電波の歌」(映像作品)
佐賀大学
大学院1年生
twitter:@450_yen
Insta:@oec.u.g
ノイズを音楽として聴かせられないだろうか?ラジオから流れるノイズにミュージックビデオを制作した。
193.粕谷匠
「『彼に関する短いフィルム』」(映像作品)
日本大学
大学3年生(専攻科等3年生)
twitter:
Insta:
<コメント>
短編映画を制作いたしました。
スマートフォンが普及し、映像を誰でも撮れるようになった現代において映像を撮るという行為の意味は大きく変化しました。そのなかで“世界最後の映像”とは何か、という劇空間を設定すること、同時に現在のロシア・ウクライナ戦争をはじめとする世界情勢について、何かしらを作品に投影したいと考え、今回の作品を制作いたしました。
<あらすじ>
2102 年。日本は断続的に戦争を続けた結果、機械に使われるレアメタルが貴重になり、結果として民衆の高品質の機械は強制的に回収され兵器に転用、市民の文化レベルは大きく後退した。
ある日、少年は家の物置からスマートフォンを見つける。そこには、かつての世界の映像が残っていた。それに触発され、映像や写真を撮り始める。戦争の足音が徐々に忍び寄るなかで、それは彼にとって些細な抵抗であった。(…)
短編映画を制作いたしました。
スマートフォンが普及し、映像を誰でも撮れるようになった現代において映像を撮るという行為の意味は大きく変化しました。そのなかで“世界最後の映像”とは何か、という劇空間を設定すること、同時に現在のロシア・ウクライナ戦争をはじめとする世界情勢について、何かしらを作品に投影したいと考え、今回の作品を制作いたしました。
<あらすじ>
2102 年。日本は断続的に戦争を続けた結果、機械に使われるレアメタルが貴重になり、結果として民衆の高品質の機械は強制的に回収され兵器に転用、市民の文化レベルは大きく後退した。
ある日、少年は家の物置からスマートフォンを見つける。そこには、かつての世界の映像が残っていた。それに触発され、映像や写真を撮り始める。戦争の足音が徐々に忍び寄るなかで、それは彼にとって些細な抵抗であった。(…)
194.KAI&JUN
「IF {lemon}」(映像作品)
ビジョナリーアーツ、青山国際教育学院
その他
twitter:
Insta:@junjunbiu、@kaijing_w
私にとて、レモンは複雑な生き物である。
ちょうど良い重量感と親近感があり、独特の香りも持っていますが、同時に、その中にある酸味は、触れた瞬間に私たちの五感を震わせるものです。その複雑なレモンの姿から、私は人間の「認識」という概念を思い描くようになりました。
人間は自分の認識を通して世界を把握するものです。だが、その認識は常に世界を分別し、誤読し、覆い隠しているのでしょう。当たり前と思われがちな認識は、偏ったものになりかねません。それは、自分を客観的に正しく評価し、主張することを偽っているように見えます。
ps:この動画も、体験型インタラクティブ・インスタレーション():Lemonのコンセプトの表現したものです。
ちょうど良い重量感と親近感があり、独特の香りも持っていますが、同時に、その中にある酸味は、触れた瞬間に私たちの五感を震わせるものです。その複雑なレモンの姿から、私は人間の「認識」という概念を思い描くようになりました。
人間は自分の認識を通して世界を把握するものです。だが、その認識は常に世界を分別し、誤読し、覆い隠しているのでしょう。当たり前と思われがちな認識は、偏ったものになりかねません。それは、自分を客観的に正しく評価し、主張することを偽っているように見えます。
ps:この動画も、体験型インタラクティブ・インスタレーション():Lemonのコンセプトの表現したものです。
235.Sogen Handa
「Listening Appreciation」(メディアアート)
慶應義塾大学
大学2年生(専攻科等2年生)
twitter:@sogen_handa
Insta:@sogen_handa
絵画から生成された音楽は、絵画鑑賞において新たなる没入空間を作り出し、これまでの絵画鑑賞の体験を拡張し、感動拡張を促してくれる。
これは、AIと人間によって生成された音楽による絵画の鑑賞体験拡張作品である。
本作品では、「絵画鑑賞は、時間軸に縛られることのない自己との対話であり、鑑賞をする際は必ず言語によって思考されている。」という考えに基づき、人間とAIの絵画鑑賞の感想を対話型鑑賞のプロセスをもとにテキスト化し、そのテキストをもとにAIを用いて音楽を生成した。
生成された音楽は、絵画を反映した音楽であり、また人間とAIのそれぞれの絵画鑑賞を反映した音楽でもある。
この作品は、私はたちに絵画鑑賞体験におけるこれまでにない没入空間を提案すると同時に、AIを芸術の創造主としてではなく鑑賞者として捉え、人間とAIを比較することによって、古来より人間のみが持つ力だとされてきた「芸術」は果たして本当に人間だけのものなのか、「芸術」における人間とAIの違いはどこにあるのだろうか、という問いを投げかける。
Credit
Director, Video Edit, Music / Sogen Handa
Model / Kento Hirose, Nana Takahashi
Supervisor / Nao Tokui
Thanks / Keio University SFC Computational Creativity Lab (Nao Tokui Lab)
これは、AIと人間によって生成された音楽による絵画の鑑賞体験拡張作品である。
本作品では、「絵画鑑賞は、時間軸に縛られることのない自己との対話であり、鑑賞をする際は必ず言語によって思考されている。」という考えに基づき、人間とAIの絵画鑑賞の感想を対話型鑑賞のプロセスをもとにテキスト化し、そのテキストをもとにAIを用いて音楽を生成した。
生成された音楽は、絵画を反映した音楽であり、また人間とAIのそれぞれの絵画鑑賞を反映した音楽でもある。
この作品は、私はたちに絵画鑑賞体験におけるこれまでにない没入空間を提案すると同時に、AIを芸術の創造主としてではなく鑑賞者として捉え、人間とAIを比較することによって、古来より人間のみが持つ力だとされてきた「芸術」は果たして本当に人間だけのものなのか、「芸術」における人間とAIの違いはどこにあるのだろうか、という問いを投げかける。
Credit
Director, Video Edit, Music / Sogen Handa
Model / Kento Hirose, Nana Takahashi
Supervisor / Nao Tokui
Thanks / Keio University SFC Computational Creativity Lab (Nao Tokui Lab)
236.Sogen Handa
「妄信する人間と贋への拡散」(メディアアート)
慶應義塾大学
大学2年生(専攻科等2年生)
twitter:@sogen_handa
Insta:@sogen_handa
過去や記憶は、時間というノイズによって薄れ、やがて忘却の一途をたどる。
そうした過去や記憶に対しては、動画や写真を見ることでのみ接続が可能となる。
私たちは動画に収められている「不確かな過去」を、真の過去としてとらえることで、自らのこれまでの歩みを認知している。
そこに映し出されたものが「不確かな過去」であるかぎり、それがナニカによって作用された虚構の過去であったとしても、私は偽の私を真の私とするほかないのである。
本作品は、両親によって撮影された過去の私、人工知能によって生成された過去の私が混在するホームビデオである。私の過去を学習した人工知能は、まるで真の過去であるかのように偽の過去を映し出す。
近年の画像生成AIモデルの発展の中で、既存の動画や写真が改変され、それらメディアが持つ真実性が薄れている。メディアが真実であるということに依存している私たちの不確かな過去や記憶は、改変された虚構のメディアが真実として提示されたとき、虚構の過去を真実の過去として捉えるほかなくなってしまうのではないだろうか。
私たちは、自らがこの世に生まれる瞬間を覚えていなければ、自らが名づけられる瞬間も覚えていない。それなのにも関わらず、私たちはそれらが真であるかのように妄信し、自分のラベルであるかのように振る舞う。
果たして、伝聞したもの、映像に映し出されたものは真実なのだろうか。
私が実存することですら、一番知るのは私ではないかもしれない。
Credit
Direction, Machine learning, Video edit, photographing, Sound / Sogen Handa
Special thanks / Hirohisa Handa, Ako Handa, Manyo Handa
そうした過去や記憶に対しては、動画や写真を見ることでのみ接続が可能となる。
私たちは動画に収められている「不確かな過去」を、真の過去としてとらえることで、自らのこれまでの歩みを認知している。
そこに映し出されたものが「不確かな過去」であるかぎり、それがナニカによって作用された虚構の過去であったとしても、私は偽の私を真の私とするほかないのである。
本作品は、両親によって撮影された過去の私、人工知能によって生成された過去の私が混在するホームビデオである。私の過去を学習した人工知能は、まるで真の過去であるかのように偽の過去を映し出す。
近年の画像生成AIモデルの発展の中で、既存の動画や写真が改変され、それらメディアが持つ真実性が薄れている。メディアが真実であるということに依存している私たちの不確かな過去や記憶は、改変された虚構のメディアが真実として提示されたとき、虚構の過去を真実の過去として捉えるほかなくなってしまうのではないだろうか。
私たちは、自らがこの世に生まれる瞬間を覚えていなければ、自らが名づけられる瞬間も覚えていない。それなのにも関わらず、私たちはそれらが真であるかのように妄信し、自分のラベルであるかのように振る舞う。
果たして、伝聞したもの、映像に映し出されたものは真実なのだろうか。
私が実存することですら、一番知るのは私ではないかもしれない。
Credit
Direction, Machine learning, Video edit, photographing, Sound / Sogen Handa
Special thanks / Hirohisa Handa, Ako Handa, Manyo Handa
第4回
全国オンラインアートフェス
開催!!!
みんなでつくるアートフェス。
オンラインでできる作品発表会で、
全国の人とつながろう!
2024年2月1日(木)~3月4日(月)にかけて募集しました、第4回大会(2023年度)の作品を公開しました。詳しくは第4回作品をご覧ください(3月10日)。
応募いただいた中から、三重県立美術館学芸員賞(5作品)とLight Art賞(35作品)の計40作品を選考、公開しました(3月25日)。
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